おいしさの秘密
おいしさの秘密 千成亭ファーム まるさん牧場 近江牛一頭買い 歴史ある「彦根牛」 安全と安心のために 受賞歴 メディア

近江牛のルーツ 「彦根牛」

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反本丸の版木
 古来、日本では牛は農作業に活躍する貴重な家畜として扱われており、また仏教の殺生禁断思想による穢れ意識があり、牛肉を食べることはタブーとされていた。
しかし実際には、彦根周辺では昔から密かに食べられ、それが日本各地に広がっていったのである。

 彦根藩は、幕府に陣太鼓に使う牛皮を毎年献上するのが慣例で江戸時代、公式に牛の屠殺が唯一認められていた藩であった。
知恵者はいるもので、三代藩主直澄時代の家臣花木伝衛門が中国の薬学本「本草網目」からヒントを得て、「反本丸」(へんぽんがん)と薬と称して流通させた。


■「本草網目五十巻」原本複写品 千成亭蔵

marusan01 本草網目には、健康な黄牛の肉は滋養に良いと書かれており、これを反本丸にする製法が次のように書かれている。
「黄牛の筋を取り除き、切断した肉を洗ってから一晩浸し更に三回洗う。さらに酒と共に煮て…」と製法は続き、かなり複雑である。



■重要文化財「御城使寄合留帳」彦根博物館蔵(彦根委博 第225号)無断使用禁止

ogita 寛政年間以降、彦根藩から将軍家や諸大名へ牛肉を贈った記録が「御城使寄合留帳」として残されている。いずれも相手方から所望に応じて贈ったものである。寛政9年には、幕府から製法を尋ねられている。このことから幕府、大名が牛肉の効能を認識していたと思われる。



個人蔵

houshin 赤穂浪士の大石内蔵助から、同士の堀部弥兵衛に宛てて、彦根産黄牛の味噌漬をおすそ分けすることを記した書状。老齢の弥兵衛にとっては養老の効果がある一方、若者(息子の大石主税)には食べさせてはいけないと伝えており、滋養薬として知られていたことがわかる。


近江牛いまむかし

下記より、シリーズ全10巻を読むことが出来ます。
※昭和五十九年 朝日新聞滋賀版掲載(千成亭資料提供)

一. 献上品 けんじょうひん

二. 醍醐味 だいごみ

三. 天塩 てしお

四. 薬喰 くすりぐい

五. 上薬 じょうやく

六. 三昧 ざんまい

七. 守拙 せつをまもる

八. 相性 あいしょう

九. 知足 たるをしる

十. 名取 なとり



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文久3年(1863年)ごろ来日した写真家フェリックス・ペアトが宿場町 厚木の風景を撮影したものです。 右側の店が掲げている看板には、「牛肉漬」「薬種」との表記が見られます。(上に拡大)東海道から離れた厚木で、江州彦根産の牛肉(味噌漬)が薬用として売られていたことがわかる。
横浜開港資料館蔵「F・ペアト幕末日本写真集」


「桜田門外の変」を起こす遠因 彦根肉の味噌漬けを何とぞ贈らせ給え

井伊直弼は、仏法の教えを忠実に守り牛の屠殺を藩内で禁止する。直弼以前は、将軍家や御三家などに毎年贈られたがピタッと止む。開国問題や将軍後継をめぐって対立する水戸藩主徳川斉昭は、彦根牛の味噌漬が大好物だった。斉昭はいまかと待つが届かない。やがて使者を出し「彦根肉の味噌漬を何とぞ贈らせ給へ」と頼むのである。「牛を殺すことを禁じ、贈りようがない」と彦根藩。「禁じられたのはやむを得ないにしても…格別調べられたく頼むなり」と強談判だが「何分国禁ゆえ」と彦根藩も引かない。「老公たびたびお頼みしたが承諾せず、さすがに不快に思い召される」。これが後年、「桜田門外の変」を引き起こす水戸藩と直弼との不和の遠因だったとする説は、説得力をもって伝えられた。
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